旅論。〜原っぱと遊園地〜
「原っぱと遊園地」と言えば青木淳さんの建築に関する論文で、
”「遊園地」が「あらかじめそこで行われることがわかっている建築」だとすれば、「原っぱ」とは、そこでおこなわれることが空間の「中身」を造ってゆく場所のことだ。原っぱでは、子どもたちはともかくそこへ行って、そこから何をして遊ぶか決める。”
ということをなにかと難しく書いてます。
「遊園地」は最初に想定された楽しみ方のなかで遊ぶ事になり、想定された楽しみ方以外の楽しみ方がないのに対し、「原っぱ」はそこに自由な空間が開かれているだけではあるが、楽しみ方はその都度利用者によって見つけられ、その時その場に集まった人達によって編み出されていく可能性のあるということです。
この原っぱ的か遊園地的かというのは建築に限らず、なにかシステムを作る時には重要な考え方だと思っていて、高校生の時から考えていたことです。
僕は旅が好きで、他の人に旅の魅力を知って欲しいと思っています。
なので個人的にツアーを企画して、旅行の引率をしたりするのですが、その時にこの二つの概念を考えます。
僕がインドでTrippieceというサイトで参加者を募り、一週間の旅企画を立ち上げた時、参加者により快適に楽しんでもらう為に、僕は事前に宿を予約して、交通機関を予約して、旅程を立てて、行く場所を決めて、料金を提示するといったことをしました。
一人で旅している時には、
見知らぬ土地に対する心細さ、言葉が通じない不安、思い通りに動かない交通機関の不便さや、治安の悪いエリアに足を踏み入れたときの緊張、その日の気分で泊まる宿を決めたりする行き当たりばったり感、思わぬところでの人と出会いにより起こるハプニングがつきものです。
僕はそれらを旅の重要な醍醐味だと思っています。
それを全て取り除いてあげる代わりに安心を提供して、旅を引率することがまさに「遊園地的」だなと感じてしまうというジレンマがあるのです。
始めから応募してくれた参加者と行動していると、突然新たな仲間が出来るチャンスも逃してしまうこともあります。
「何が起こるか分からない」というわくわく感を抜きにして、旅の魅力が伝えられているのかといえばそうでない気がしてなりません。
観光客用に整えられたリゾートに行くような「旅行」を経験して欲しいわけではありません。
「旅人」として、その国(原っぱ)に順応し、その国の知らない部分を見て、楽しみ方を見つけ、新しい自分を発見する経験を共有したいと思っています。
この「遊園地的と原っぱ的」に関する悩みはまだ解決していませんが、これから模索していこうと思います。
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